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アンティークな琥珀堂

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江戸切子

思えば、昭和という時代に、どこの家庭にも、ひとつかふたつ、切子のコップがあったような記憶があります。たぶん、今ほど伝統工芸がもてはやされる以前の話で、茶箪笥の奥の暗がりに、普段使われず、ちょっと埃をかぶったような、赤や青の切子のコップが実家にもありました。あれは、引き出物だったのでしょうね。
お味噌やお酒ではなく、引き出物にガラス製品を出すというのは、大変おしゃれなことだったんじゃないかな。子供の私は、切子のコップがちょっと恐かったものです。切子などという名前は勿論知らなくて、なんというか、ガラスの凹凸に埃がたまっているような、油がたまっているような、とても、あのコップで水を飲みたいとは思わなかったな。

江戸切子は、100年ほどの歴史を持つ、比較的新しい工芸品のようです。

1834年(天保5年)江戸大伝馬町の、びいどろ屋 加賀屋久兵衛が、金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻をすることを工夫したのが、今日に伝わる「江戸切子」の始まり、

だそうですから、由来もわかっているようですね。詳しくは、フリーページの江戸切子にピックアップしておきました。

我が家にも、一口ビールの切子のセットがあります。今見ると、すばらしく綺麗ですよね。実家のは、単に手入れが悪かったのかもね。でも、子供の目で見ると、古い切子はやっぱりちょっと恐いところがあります。切子の赤は、恐い赤なのです。

江戸切子懐石杯(52Фx60H・65cc)

江戸切子懐石杯(52Фx60H・65cc)
\13500

創作切子「祝の膳」大皿

創作切子「祝の膳」大皿
\120000

江戸切子伝統工芸士根本幸雄・懐石杯

江戸切子伝統工芸士根本幸雄・懐石杯
\22000

江戸切子懐石杯(53Фx85H・90cc)

江戸切子懐石杯(53Фx85H・90cc)
\10500


手に重き瑠璃のグラスのはるばると月の砂漠を越えて来た旅  琥珀

江戸切子をもっと見たい。400点ほど掲載されています。


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100年の歴史
我が国には江戸時代の後期からずっと其の制作技法が引き継がれ、明治・大正・昭和・平成と100年以上の長い歴史をもち、他の地方には見ることの出来ない伝統あるガラス工芸技法として「江戸切子」があります。 江戸切子の始まり
1834年(天保5年)江戸大伝馬町の、びいどろ屋 加賀屋久兵衛が、金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻をすることを工夫したのが、今日に伝わる「江戸切子」の始まりです。
明治時代
明治時代に入って、ヨーロッパのカットグラス技法が、新しい設備や用具などと共に導入され、従来の技法に採り入れられたので長く受け継げれた、現代に伝わる伝統的ガラス工芸技法「江戸切子」となりました。 江戸切子の名称
明治20年ごろまでは、江戸時代の面影をとどめた意匠やすぐれた技法の切子が、江戸時代からの職人によって作られたので「江戸切子」の名称も生まれ、すぐれた伝統工芸品として後世に残ることになりました。
大正時代
大正10年頃になるとカットグラスに使われるガラス素地の研究や、クルスタルガラスの研磨の技法が開発されるなどして、ガラスの品位は次第に向上して来ました。 昭和初期
大正時代から昭和初期にかけて工芸ガラスと言えば「カットガラス」と言われる程急速に、しかも高度の発達を遂げ、我が国における第一次の全盛時代を迎えました。
カットグラス組合
大正7年に発足した“東京硝子研磨業組合”は連綿として継続し、その技術を保存し発展させ、昭和30年には現在の“東京カットグラス工業協同組合”となりました。 江戸切子の将来
平成を迎えて、今日かつてないガラス工芸発展の時代に、品位の高いガラス、美しさを追求するガラス、伝統を生かしたガラス、として江戸切子を長く保存育成してゆきたいと考えております。東京都伝統工芸品「江戸切子」に対し一層のご理解とご愛用をお願い上げる次第です。

東京は下町葛飾 伝統工芸・伝統産業とその匠・職人の技


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